ども、ばじるです。
格差問題にはもう10年くらい興味があるんですが、
最近、格差とか親ガチャみたいに言ってるやつはダメ。みたいな意見をたまにみます。
そういうやつに限って努力してないとか、自分に目を向けてないとか、他人との比較に生きるな。とか、
政府や他人になんとかして貰うのではなく、自分の力で何とかしようと考えてないんじゃないか?
という論調です。
格差や親ガチャは今まで以上にくっきりと輪郭を持ってそこに存在しているのに、それを言及してはいけないって酷だなって思います。
寧ろ声を大にしなければ政治は見て見ぬふりをすることになる。
格差とか言うな。と言う人自身が、意外と貧困出身で這い上がった人なので、
愛の鞭というか、俺みたいにちゃんと頑張りゃいいじゃん。というメッセージでもあるのですが。
ばじるは、それなりに努力して会社でも成果出して、勉強して、資産もある程度作ったけど、
やっぱり格差に対しては不満たっぷりです。
というのも、資産3億を仮に来年実現しても、もう遅いからです。
やっぱり生まれたときに親がお金持ちじゃないと、
若いときに海外や国内旅行しまくって一流のものに接したり、留学して英語で外人とも普通に話せて、十分な教育受けて学歴を手にして、その時欲しい物を手にして興味のある分野を伸ばす、美味しいものを沢山食べる、感性や立ち振る舞い、人生観を磨く、良い会社に就職して美人の奥さんと子供複数に恵まれる。
ということは出来ない。
歳をとるとお金があっても、通帳の残高が増えてるだけなんですよね。
もちろん、老後の不安がなくなり、美味しいものを食べて旅行することも出来るけど、感動の度合いが全然違う。
極端に言うと70歳でフェラーリに乗って、グッチのサングラスをおでこに掛けてたら、それはそれで端から見たらファンキーだけど、
本人からすると、もっと若いときにこれやりたかったな。という感じになるということです。
人生に本気になれば歳をとったときに貧困を抜けて出てるはず。
抜け出れてない人はどこか怠惰だったり不真面目なんじゃないか?
という意見も一理はあります。
ただ、低学歴で派遣社員から抜け出るのと、マーチ卒業して普通の会社員してるのでは、庶民から抜け出る穴の深さが全然違う。
世界の中心で格差を叫びつつ、政治や人任せにせずにこの世は自己責任の実力主義なんだという前提で悔しさをバネに這い上がろうと取り組むのが良さそうです。