億り人を目指す投資家のぼやき

ばじると申します。現在資産6,700万です。

奴隷だけど尊厳あり

ども、ばじるです。

生きるために組織や集団に所属するということは、命令や規則に従い、成果を上げる必要があります。

そして指揮命令系統が階層化され、ヒエラルキーが生まれ、保護される一方で上層に使われる人間になります。

大きな成果を上げてもそれは集団に帰属し、国、株主、役員、上司の上司、上司の順に配分されて、自分に配分される頃には米びつに張り付いた米粒だけになっています。

会社に入った時に、会社員の自分は奴隷だと感じる。と優秀な先輩に吐露したら、そこまでじゃないだろ!と笑われた事があります。

古代ローマでも奴隷の扱い方には腐心していて、息抜きをさせたり、子供をもたせたり、休みを取らせたり、法律である程度保護したり、優しく接したり、自分は奴隷だけどこのままでいいや。この人についていこう。と思わせるようにしていました。

安くない金払って奴隷を仕入れたのに、闇雲に鞭を打っても逃げるだけだし、働かせ過ぎて故障したり、鬱になったら使い物にならない。恨みを買っても上手く言う事を聞かない。逃亡されたら大損だ。

だから、奴隷が喜んで奉仕するように仕向けていたのです。

株式会社は株主(金持ち)のものです。社員全員のものではありません。

手を変え品を変え、古代ローマ時代に比べて奴隷領主はうまく表に立たない仕組みを作ったのです。

もちろん、働いてて楽しさややりがい、仲間との交流や昇給、新たな経験など、嬉しいこともあります。

しかし、それはプラトンの洞窟の比喩と同じで、俯瞰して自分の置かれている全体像を見ずに洞窟の中の影絵を見て信じているだけなのです。

毎日拘束されて残業して、目標を追って、仲間で励まし合って、くたくたになってまた働いて。住宅ローンや老後におののきながら、日本やばいと不安に震えてる。

その洞窟の外には、洞窟の中の住人が稼いだお金を吸い取って一切の時間拘束がなく、代々の資産家で別荘いくつも持って海外旅行して、高級車と高級マンションで働かずにのんびり家族団らんして、複数の子供を海外留学させたり名門校に通わせて跡を継がせようとしているような人たちがいるのです。

以前書いたけど年収4,000万を鼻で笑って軽蔑できる不動産や株式を牛耳る人達です。

向こうからは見えてるけど、こちらからは見えない世界です。

でも最近資産を持って、あまり奴隷という感じがなくなりました。

外の世界もよく見えてて、洞窟から追い出されたり、閉鎖されたりしても目先は生きていけるので、それほど恐怖を感じません。

僕自身もいくつかの洞窟の上がりを吸い取る権利の一部の所有者でもあります。

洞窟の住人はいつもとても不安です。

上司から怒られないか、失敗しないか、昇格できないんじゃないか。家族養って行けないんじゃないか、老後の貯蓄できるのかなど。

それはご主人がいないといきていけない奴隷の心境です。

今は半分市民、半分奴隷という感覚。まさに自分の資産額が物語っている。早く6割、7割と自由を勝ち取り正式な市民になりたい。

解放はいつになるんだろうか。