ども、ばじるです。
毎日満員電車と雑踏に呑み込まれてひたすら家と職場を往復している。
駅には沢山の人たちが同じ方向に向かって歩いていく。 特に帰りの乗り換え駅では若者や年寄り、酔っぱらい、おばちゃんなどさまざまな人が同じ方向を目指して歩いていく。
それはまるで蟻が巣に帰るために列をなしているようでもあるし、とても動物的な光景に見える。
一方向に無言で吸い込まれていく人獣の群れは何とも言えない不思議な光景を作り出す。
時々、この人たち一人一人にも人生があるのだと想いを馳せる。 ほぼ全員が家に帰ればお風呂に入るんだろう、ビールを飲む人もいれば、テレビを見る人もいれば、SNSを見る人もいるだろう。
そのあと明かりを消して布団に入って、翌朝を向かえるのだ。
朝の電車にしろ、帰りの電車にしろ、ここには一般庶民、つまり雇われ、隷属してる人しかいない。
何かを切り開くのではなく、社会制度の中に乗っかって、 電車を乗り換えるのと同じように、何も考えずに人生も吸い込まれていく。
世の中は私たちが動かしてるし、私たちの意見が反映されていると思ってるし、これが"普通"だと思っている。
何とかっていう新進気鋭の若い社会学者が、学校教育というのは洗脳で、指示を守り言うことを聞くように洗脳され、
学校卒業して会社に入って働くのが当たり前と洗脳されている。 教育や学校は奴隷をつくるための装置みたいなことを言っていた。
その時は、不快感を感じて、いかにもネット民らしい若造がいきがって頓珍漢なことを言ってると思ったが、 日に日に、よくよく考えてみると彼が言ってることは正しい。
誤解のないようにして欲しいが、平和に楽しく暮らせれば蟻の人生も悪いものではないと思う。
ただ、世の中を動かしてるのは権力者であり、会社の数だけ経営者がいて、不動産の数だけオーナーがいるのだ。
道路工事していたら、工事会社があり、機械の会社があり、コンクリート会社があり、車体の部品、ヘルメット、作業員のウェア、掲示板、三角コーン、鉄、ゴムに至るまでそこには数限りない会社と経営者や株主がいる。
目の前で働いている人たちはその人たちのためにせっせと働く蟻であって、 僕らが生きてる日常にはその人たちとの接点は殆どないのだ。
だから何?ってことになるけど、 何も考えない蟻よりも、我蟻である、故に蟻なり。と自覚して、 キリギリスたちの世界もしっかり見て、現実を直視する蟻でありたい。
そしていつかキリギリスになりたい。