今夜のディナーは富士そばのカレー450円。
ども、ばじるです。
幸福とは何なのか、そういう事を時々考えます。
ある人が言ってたのは、不安がないことが幸せだと。
確かに仕事や恋愛、家庭、金銭、健康、老後などで不安がある事は不幸だし、
不安がないということは、一応安定してて幸せだと言えます。
お金があるとこうした不安をある程度カバーしてくれます。
しかし不安がないことは不幸でないだけであって、幸せとは少し違う気もします。
最近思うのはお金があってもなくても結局そいつ自身の性格とか感性とか、能力や人間性による処が大きいなということ。
コンビニのプリンでも最高に幸せを感じる人だっている。
貧しくても家族が居れば幸せって人もいる。
投資家には一億超えてもそんなに幸福感じてない人も結構多くて、
生きるために投資しかできなかったからそれをやってるだけ。そしたら結果億になった。と言う人が結構いる。
お金をたくさん持ったから幸せとはならない。
お金を持っても使い道が良くわからなくて、高い洋服を買っても暫くすれば飽きるし、おいしい高級料理を食べてもその瞬間は幸福だけど、2回目3回目と幸福度は減ってくる。
近所のスーパーで買えるものでも十分美味しい。
タワマンもはじめは眺めが良くて、征服感があるけど、慣れると別に景色見なくなるし、エレベーターも面倒臭い(らしい)。
幸せは、お金というよりも友情、愛情などの人間関係、喜怒哀楽、快適さや心地良さ、目標に向けて頑張っている時や達成した時、目先の欲求を満たした瞬間などに感じる。
それは主観的で感覚的なものなので、なにか物質があるから幸せになれるわけではない。
お金はあくまで不幸ではない、不安定ではないというマイナスを埋める手段であって、継続的で大きな幸福感として働くかどうかはその人次第だ。
お金が沢山あっても、じゃあ幸せになるためにどう使えばいいの?
という問題にぶち当たる。
中には豪邸買って世界中飛び回ってゴルフして高級車に乗って幸せな人もいるかもしれないし、
可愛い子供3人と綺麗な妻と一緒に定期的に旅行したりして毎日楽しく過ごせければ幸せなのかもしれない。
でも、それはお金よりも前にゴルフや車が好きなアクティブなパーソナリティや、
綺麗な妻を見つけて結婚の承諾を得て子供3人作る人間性が必要になるし、
一家のパパとして毎日一緒に楽しく暮らせる、幸せな家庭を築く人柄や器量というパーソナリティが必要になる。
むしろ才能あふれ過ぎて海外行って大学教授になって興味ある分野研究したりウェイウェイしてる人が楽しいのかも。
だからそもそも貧乏性で単独行動が好きで、趣味は読書とゲームと投資という自分には、
お金というスコアが増えてるだけで、人間の根本が変わるわけでもないんだよなって最近思います。
そして投資家の職業病としてお金を使うと逆に不安になったり、資産が減ることにもの凄く強い抵抗感が生まれてしまう。
使わない事で幸せを感じてしまうというジレンマがあるのだ。
ないよりはあった方が幸せだし楽しいのは間違いないけど、当時思ってる程、お金は人生に大きな影響を与えないというわけです。