ども、ばじるです。
何度か書いてますが、
残念なことに?
お金が貯まるのと同時に年齢を重ね、欲望はどんどん薄れてきています。
一方で人として恥づかしい生き方をしたくないとか、社会に良いことをしたいという思いも強くなっている。
それは善良なわけではなく、老いて醜くなる中でせめて心は綺麗でいたいとか、
自分より若い世代が増えてきて、子供や孫のようになってくると、自分の若い頃を重ねてかわいく思えたり、将来を良くしてあげたいと思うのかもしれません。
金銭的な困窮を抜けて一定額に達すると、それほど必要になるわけではなくなるし、不安な気持ちからも解放される。
しかしお金というものは紙切れと金属若しくは数字という文字なので、信用が壊れたら使い物にはなりません。
そういう意味で本当は自給自足出来ないと完全安心ではありません。
さて、最近かなり高齢の人の本を読んだり、人生論みたいなものを見聞きして、とても感銘を受けました。
年長者というのは人生の年季と含蓄が違う。
若者からすると、スマホも使えないし俺たち現役世代が年金で養ってるなどと揶揄しがちです。
中には高齢者は◯ねばいい。とまで言うエセ知識人まで出てくる始末。
若いうちはこうした過激な発想や極端な考えが生まれがちですが、
高齢者の話を聞いてると、物質主義に支配されて本当に大切な人間の愛情や思いやりが持てなくなっている。
資本主義に洗脳されて自分さえ良ければいい、経済が良ければ人のことなんて知ったこっちゃない。
という考えに囚われてることがわかる。
いくら勉強が得意でもそれが表面的で厚みや深みのある教養や人生観をもたないと、上滑りしてしまうという証左でしょう。
YouTubeで87歳の資産16億のデイトレーダーの藤本茂さんへの取材動画がありましたが、
もう16億がどうというより、株取引自体が趣味のライフワークになってます。
どんなに稼いだ投資家もいずれは老いて必ず相続税として半分は国庫に没収される時が来る。
そうなると生涯で稼いだお金そのものは意味を失う。
結局、投資はお金もうけというよりも、それ自体が世の中の流れを知れるし、楽しい推理ゲームなのかもしれません。