今日のディナーは贅沢にリンガーハットでミニチャンポン。
ども、ばじるです。
とある武道家の本を読んでいたら昔の人は如何に身体能力に優れていたか、それは頭ではなく自然と生きる上で身に付いたのだ。
と書かれていました。
筋トレスタジオで鍛えた筋肉は一方向からしか負荷がかからないから、見た目は良くてもすごく脆いそうです。
最近すごく思うんですが、人間の中にはこうしたいというプログラムがDNAに組み込まれていて、自然とそっちの方向に行くようになっている。
そこに加えて環境に適応するようになっているのではないかと。
ドラクエの音楽を担当したすぎやまこういちさんは、音大目指してたけど駄目で代わりに東大行ったけど勉強せずに音楽ずくめで、
卒業後も工場でアルバイトしてて、ある時演奏を聞いた放送局に引き抜かれたのがきっかけで、
テレビ番組を作る傍ら、ミュージシャンに曲を提供するようになったそうです。
そして好きな将棋ゲームがエニックスだったから、感想書いて送ったのがきっかけで、
ドラクエってゲーム作ってんだけど音楽作らない?
と誘われたそうです。
始めからなろうとしてなったわけでもなく、好きなことを追求してたら、音大の人にも出来ないようなことを成し遂げた。
ばじるも投資家の素養は多分にあったし、貧しい生い立ちなのでハングリー精神も芽生えた。
始めは周りももっと生活費抑えればいいのにとか、みんな投資すれば楽に稼げるのにと思ったけど、
そんなに関心がないことに気づいた。
それは多分DNAに守銭奴と書いてないし、利己的とも書いてない、
環境適応も生い立ちが貧しくなかったからか、そこまでお金貯める必要性はない。という環境適応なのだろう。
ばじるの場合はやることないから本気で1億でも目指してみるか。
という感じでもあった。
無趣味だから出来たし、趣味があるならそれを追求するのが生き方として正しい。
酒好きだから体壊すかもしれないけど酒飲むとか、
安定性が欲しいから公務員になるとか、
ホストが好きだから体売って貢ぐとか、
中には儲からないし大変なのわかってるけど介護の仕事したい。という愛情深い人もいる。
どこか自分のやりたいことや精神が求めていて、そこでバランスを取ってるんだろう。
あと、好きなことをやるといっても、日常生活に支障をきたすレベルになるとそれはそれで依存症で病気だ。
逆に自分が何が好きか?何をやりたいか?の声に耳を傾けてアクションできないことの方がよほど不幸だ。
ただ、自分の性質を理解するのにばじるはウン十年以上かかったし、
22歳で就活始めたからわかるってもんでも、なかなかないよね。
やりたいことが見つからないって、そりゃ好きなことを追求してから見えてくるものだから、勉強してたらわからなくもなるし、
メディアに翻弄されてアイドルとかYouTuberとか、ミュージシャンとかデザイナーみたいなのを一律に目指しても、大半の人は素養が違うところにあるんだろう。
こうしろというルールばっかりで絡め取られてて、
自分の自然の中から出てくる何やりたいというのが、今の社会では感じられにくくなってる気がする。
なんども転んでつまずいて、最後に行き着く場所がたまたまばじるの場合は億り人だったのだ。(まだなってないけど)